
兵庫県下最大の流域面積を誇る一級河川・加古川。闘龍灘は、その中流部である加東市上滝野に位置する名勝として、古くからたくさんの人に愛され続けています。
中でも、文人たちが数多く足を運び、その風致景観を漢詩や俳句にしたためてきました。
まずは、闘龍灘の名付けの親である詩人・梁川星巌(やながわせいがん)です。

■白波が、闘う2頭の龍に見えてくる
巨岩と巨岩の間を、白波を立てて流れ落ちる激流の様子が、星巌の目には巨大な2頭の龍が闘っているように映ったのでしょう。「玉龍(ぎょくりゅう)」に喩えて詠んだ七言絶句(*)が、闘龍灘の名前の由来になりました。
この漢詩は掛け軸として、加古川流域滝野歴史民俗資料館に展示されています。
一方、星巌の荒々しい龍とは対照的に、愛らしい鮎を謳ったのは俳人・随筆家である河東碧梧桐(かわひがしへきごとう)でした。自然景観の趣に観賞価値の高さを発揮する闘龍灘ですが、もうひとつの名所として有名なのが飛び鮎です。
*七言絶句(しちごんぜっく)とは、1句に7文字、全体で4句(計28文字)からなる漢詩の形式の一つ
■若鮎の句に漂う播磨の旅情
播磨地方の俳友から闘龍灘に招かれた碧梧桐が、加古川の清流にひとときの旅情を詠んだ句が残されています。
碧梧桐が歌い上げた一句は、滝壺に身を潜めて一日中睦みあう若鮎たちの姿でした。現在は、闘龍すくえあにその句碑が建てられています。
この闘龍灘の鮎は、句碑の他にも様々な“名所”として目にすることができます。

■「鮎漁」が知らせる初夏の訪れ
例えば、江戸時代に考案され今に継承されている「筧(かけい)漁」。加古川で鮎漁が解禁となる5月1日から、滝に見立てた筧(木樋)の仕掛けや、その筧を遡上する鮎を穴に落とす漁の様子を見学することができます。

また、闘龍灘の右岸側にある料理旅館「滝寺荘」の玄関脇には、鮎の供養のために建てられた「鮎塚」もあります。
滝、激流、巨岩など、目前に広がる景観に目も心も奪われがちな闘龍灘ですが、時にはこうした文化的な発想を共有するのも、新たな魅力に触れるきっかけを手にすることができるのではないでしょうか。
文人たちの目や作品を通して味わう闘龍灘の自然美や楽しさは、こちらからどうぞ↓
ひょうご水百景 加古川(加東市上滝野)~多くの文人が訪れた播磨の名勝・闘龍灘~
さて、文化庁によれば「名勝とは名所のすぐれた風致景観に価値を見いだすもの」であると同時に、「日本に暮らす人々がそれぞれの土地に紡いできた思いを、名所や風景に継いでいくもの」であると書かれています。
闘龍灘には、奇岩・怪石や飛び鮎が魅せる自然美だけでなく、暮らしを支えるために担い紡ぎ続けた、もうひとつの「名勝」としての姿がありました。
ひょうご水百景 加古川(加東市上滝野)【後編】
~加古川舟運の祖と呼ばれた阿江与助と舟運を阻む闘龍灘~ へ続きます
▼こちらの記事もおすすめ

