【文責:加東市観光協会 西山】
様々な情報を発信する「広報かとう」。毎月15,700部が発行されている。
毎月楽しみに読んでいるのは私だけではないでしょう。なかなか読む時間がないという御仁にはパソコンやスマートフォンでも読めるようになっている。地域の図書館ではバックナンバーも置いてある。
かとうトリビューンでは、毎月の広報かとうから私の独断と偏見で気になる記事を「深堀り広報」としてお届けします。どうぞ、お楽しみに。

加東市教育委員会では毎年「文学講座」を開催しており、加東市出身またはゆかりのある文学者をテーマに講座を開いています。昨年度は郷土の詩人「坂本遼」。ふるさとや母への愛を方言でうたい、生涯唯一の詩集「たんぽぽ」で注目を集めた坂本遼の生涯と作品の魅力が紹介されました。
そして、今年は兵庫県内の近代文学者として「柳田國男」を取り上げ、7月と8月に講座が行われます。
柳田國男とはどんな人だったんでしょうか。少し深掘ってみましょう。

【民俗学の父】
柳田國男(やなぎた くにお)は明治8年(1875年)7月に飾磨県神東郡辻川村(現:兵庫県神崎郡福崎町西田原)に生まれました。
國男の生まれた家はたいそう賑やかな街道、今の「銀の馬車道」に面していました。
銀の馬車道とは、生野銀山と飾磨港(現・姫路港)を結ぶ、日本初の高速産業道路(正式名称・生野鉱山寮馬車道)として整備され、現在は日本遺産「播但貫く 銀の馬車道・鉱石の道」として観光ルートにもなっています。
しかし、國男は自分の生まれた家を「日本一小さい家」と著書に書いています。また「この小ささが私の民俗学への志を発した」とも記しています。

生家は昭和49年(1974年)に國男ゆかりの鈴ノ森神社の傍らに移築されました。(休館日を除いて入館料無料で見学することができます。)
【兵庫県指定重要文化財:江戸時代中期(18世紀中頃)の建築と考えられ、当時の一般農家の基本的平面を持つ民家としても貴重である。】


國男ほか松岡兄弟の功績を顕彰している
國男は国文学者で医者の松岡操・母たけの8人兄弟の6男として生まれました。
松岡家は代々の医家であったようです。
長男・鼎(かなえ)は医師となるも、その後千葉県内で町長も務めた。
3男・井上通泰(みちやす)は医師の井上氏の養子となり眼科医で国文学者でもあった。
6男・柳田國男
7男・静雄(しずお)は海軍兵学校を卒業し海軍大佐となった。
8男・輝夫(てるお)は日本画家・映丘(えいきゅう)として大和絵の復興に尽力した。
次男・4男・5男は早世した。
江戸時代初期に飾磨(現・姫路市)で「飾磨津屋」という酒屋を営んでいた三木家は、明暦元年(1655年)に初代利通が辻川(現・福崎町西田原)に移り住み、その後、代々姫路藩の大庄屋を務め、地域の発展に貢献しました。

平成22年からの文化財調査で宝永2年(1705年)築と判明しました
その大庄屋三木家に國男は11歳のときに預けられました。國男は幼少期より非凡な記憶力を持ち、三木家歴代当主が収集した膨大な蔵書を読破したといいます。

また、國男とも歳が近い三木家9代目当主は大正11年(1922年)に辻川郵便局長となり、翌年、自宅の隣に郵便局を建設しました。
平成20年(2008年)に国登録有形文化財となりました。
平成27年(2015年)に三木氏から福崎町が譲り受け、平成31年(2019年)に現在の場所に移築再生されました。

その後、國男は東京帝国大学法科大学を卒業、農商務省農務局農政課の官僚となり、主に東北地方の農村の実態を調査・研究するようになりました。
明治34年(1901年)國男26歳のとき、旧信濃国飯田藩士で大審院判事を務めていた柳田直平の養嗣子となりました。なぜ、國男は養嗣子となったのでしょう。
柳田直平には娘はいましたが家督を継ぐ男子がいませんでした。若きエリート官僚である國男にとって、大審院判事の養嗣子となることは社会的・生活的安定が得られ、かつ、そのころ実家松岡家や兄たちとの関係、故郷からの精神的な「独立」などがあったのではと憶測されています。
そして3年後に柳田家の4女と結婚しました。國男29歳でした。
ちなみに國男が幼少の頃過ごした大庄屋三木家住宅は、令和2年(2020年)11月に「NIPPONIA 播磨福崎 蔵書の館」としてレストラン、宿泊施設そして結婚式場へと改修されました。重要文化財の建物を改修し、このように生まれ変わるのは日本で初めてのことでした。

(結婚式にガジロウは付いてきません)
國男は大正8年(1919年)、45歳で退官し、在野で研究に専念。官僚の頃から日本全国の地方を渡り歩き、各地に残る民話や伝承を収集・研究・体系づけ、また、妖怪や物の怪にまつわる言い伝えまで、文学に昇華させ、日本民俗学の礎を築きました。
その研究は海外でも高い評価を受け、文化勲章を受け、正三位勲一等旭日大綬章も授与されました。
「日本民俗学の父」と呼ばれる所以です。
國男は「遠野物語」をはじめ「妖怪談義」「日本昔話」など多くの著書を残しました。
芥川龍之介の「河童」も國男の影響だと言われています。
【國男と河童】
柳田國男著「故郷七十年」より
辻川あたりでは河童は「ガタロ」というが、ずいぶんいたずらをする。子どものころに、市川で泳いでいると、お尻をぬかれるという話がよくあった。それが河童の特徴で私らの子ども仲間でもその犠牲になったものが多かった。毎夏一人ぐらいは、尻を抜かれて水死した話を耳にした。

國男が幼少の頃、よく泳いでいた市川
「故郷七十年」
神戸新聞社が創立60周年にあたって兵庫県出身で当時82歳であった柳田國男に回顧録を依頼した。昭和33年1月から9月まで200回連載された。昭和34年に「故郷七十年」として出版された。
國男は、明治・大正・昭和の激動の時代を生き、昭和38年8月8日、波乱に満ちた生涯を閉じた。暑い日であったという。享年87歳。

河童の河太郎(ガタロウ)、河次郎(ガジロウ)物語(福崎町辻川山公園)
市川に駒ケ岩という大きな岩があります。河童の兄弟、兄のガタロウと弟のガジロウが住んでおり、川へ遊びに来る子ども達の足を引っ張り、「尻子玉」を抜いてしまうのです。子ども達は誰も川へ行かなくなりました。河童の兄弟は自分たちのせいだと後悔し、柳田先生に謝ろうと辻川山公園にやってきましたが先生に出会うことができません。兄のガタロウは池のほとりで、弟のガジロウは池の中で先生が帰って来るのを毎日毎日待ち続けました。とうとう、兄のガタロウは頭の皿の水がなくなって固まって動けなくなりました。弟のガジロウは池の中から時々出てくるようになりました。
【ガジロウにはこんな秘密が】
ガジロウはJR福崎駅前の水槽からも時々出てきます。
はて?ガジロウは2匹いてる?

いいえ、ガジロウは移動しているのです。(秘密の地下トンネルがある)

柳田國男は日本で最初に「妖怪」を体系的に研究し、「妖怪談義」を発表。日本の妖怪の祖とも言えます。
國男がいなければ、この世に「日本昔話」も「ゲゲゲの鬼太郎」も、さらに「ポケモン」や「妖怪ウォッチ」も生まれていなかったかもしれません。
著書「妖怪談義」の巻末にある「妖怪名彙」(辞典)に紹介されている妖怪たちの多くは、後に水木しげるにより図像化されました。
國男が生んだ妖怪たちにちなんで福崎町では「全国妖怪造形コンテスト」が行われ、多くの妖怪たちが集まりました。その一部は街中に「妖怪ベンチ」として見ることができます。また、辻川観光交流センターには、そのオリジナル作品が展示されています。

平安時代に京都で大暴れしたと伝えられる鬼「酒呑童子」は6mもある巨体に5本の角、目が15個もあるという恐ろしい見た目で、酒を好み、人をさらって食べていたが、毒を盛られた酒を飲まされて倒されたという伝説が残る。
妖怪が伝えられる地域:全国

山に棲むといわれる老婆の姿をした妖怪。山道で出会った者を食べてしまうといわれる。その一方で、山姥を守護神として祭る家もある。1990年代、東京都渋谷を中心に一世を風靡したヤマンバギャルの要素を取り入れた作品。12月20日は山姥の洗濯日といい、水を使ってはいけない、洗濯をしてはいけないといわれる地域がある。
妖怪が伝えられる地域や出現場所:高知県、宮崎県、静岡県、長野県の山

年を取った飼い猫が猫またになる事がある。尻尾が2つにわれていて、人間の言葉をしゃべり、2足歩行する。山にいる獣ともいわれ、人間を襲うことがある。
妖怪が伝えられる地域や出現場所:本州、四国、九州の山

「あの竹藪は、絶対に通るな!」と先生から言われていた。理由は聞かされていないが、何かある。しかし、遅刻する訳にはいかない。通るしかない。
おばあさんの姿で、夜通りかかった人間に砂をかけて驚かすが正体を見た者はいないといわれる。
妖怪が伝えられる地域や出現場所:西日本の林、寺
柳田國男著書より:お社の淋しい森の蔭などを通ると砂をばらばらと振り掛けて人を嚇す。

着物姿のこどもで座敷や蔵に住む。座敷童子が住む家は栄えるが、立ち去ってしまった家は貧乏になると言われている。寒暖の差が激しく、厳しい冬が訪れる東北地方では江戸時代に何回もの凶作に見舞われた。そんな環境の中、育てることができずに、間引きとして命を絶たれる赤ん坊が多くいた。生まれて間もない赤子を間引く事は神に赤子を返す行為と考えられていたため、お墓ではなくその家の土間や台所に埋葬されていた。そしてその場所から座敷童子となって出現したという伝承もある。
妖怪が伝えられる地域や出現場所:東北、関東地方の家、旅館

頭のてっぺんにある皿には水が入っている。水辺で泳いでいる人を水中に引き込んだり、尻子玉を抜くという悪戯をする。尻子玉とは人間の肛門付近にあるとされる架空の臓器で、尻子玉を抜かれた人は「ふぬけ」になるとされる。力が強く、相撲が好き。好物はキュウリ。
川や池、海という自然の恐ろしさを体現した存在。どんなに泳ぎが得意な人でも、一歩間違えれば命を落とすことがある。一方で、何かをしてあげるとお礼として薬や高価なものをくれるとも言われる。
妖怪が伝えられる地域や出現場所:本州、四国、九州の川、池、沼
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【ばけばけの小泉八雲と毎日難儀なことばかり・・・】
NHKの朝の連続ドラマ「ばけばけ」で取り上げられた小泉八雲は「怪談」の本を執筆し一躍有名になりました。 八雲が東京帝国大学文科大学で教鞭をとっているとき、柳田國男は東京帝国大学法科大学に入学しました。在学中、小泉八雲の講義を聴講したかもしれません。
また、八雲の晩年には、國男も早稲田大学の講師を務めていました。しかも二人とも出講日は土曜日であったことから講師控え室で面識を持った可能性も否定できません。ひょっとしたら「怪談」の話に花が咲いたかもしれません。(あくまで筆者の希望的想像ですが。)

加東市「広報かとう2026年6月号」ダウンロードページ
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