県指定文化財の鳥居と秋祭り情報【加東古は語る】 #008

その昔、この地は「針磨鴨国(はりまかものくに)」と呼ばれていました。
奈良時代、大化の改新後、播磨国賀毛郡(賀茂郡)が賀西郡、賀東郡に分かれ、やがて、加東郡から小野町が市制施行し離脱。社町、滝野町、東条町が合併し加東市が生まれました。
そして、令和8年3月20日に加東市は誕生20年の節目を迎えます。

明治28年(1895年)5月8日、加東郡滝野村ノ内高岡村に一人の男の子が生まれました。
父は藤川住太郎、母はとら。
藤川家の長男として生まれた子、名前を「禎次(ていじ)」と名付けられました。
後に酒米「山田錦」を生み出した人間になろうとは、この時は誰も思いませんでした。

兵庫県加東市「市制20周年記念事業」

古くから日本人は「神社にお参りする」という行動パターンが馴染みのあるものでした。お伊勢講という伊勢参りをするために今で言う積立貯金もありました。もちろん車や列車のない時代、左と右の両足を互い違いに出す「旅」という時代から伊勢参りは庶民の最高の娯楽でした。

各地で行われる秋まつりも収穫を感謝し、新米や新酒で神様をおもてなし。時に神様は神輿に乗って地域内を回って災いを吸収したり、獅子舞で、厄除け・はやり病の防止・五穀豊穣などと地域の人々の願いが込められました。

そんな神社の入口にあたる「鳥居」は、神様の世界と人間の世界を分ける境界と考えられています。鳥居の内側は神聖な神域とされ、鳥居をくぐる際には一礼するのが作法となっています。

鳥居の起源については様々な説が存在していますが、中でも知られているのが古事記に登場する天照大御神(あまてらすおおみかみ)のエピソードです。
天照大御神が天の岩屋にお隠れになった際に、八百万(やおよろず)の神々が鶏を鳴せましたが、このとき鶏が止まった木を鳥居の起源であるとする説です。

鳥居は、その材質・構造も多種多様で、それぞれの神社により形態が異なり、一説には60数種類の形態があるとも言われています。
代表的なものは、鳥居上部の横柱が一直線になっている神明(しんめい)鳥居と、この横柱の両端が上向きに反っている明神(みょうじん)鳥居があります。このほか、形態では明神鳥居の横柱上部に合掌形の破風(はふ)のついた山王(さんのう)鳥居や、また朱塗りの稲荷鳥居など特徴的なものがあります。

起源や形態などは様々ですが、鳥居を見ると神聖さを感じるのは、我々日本人の共通した考え方ではないかと思います。

今回の「加東古は語る」では県指定文化財の鳥居を紹介しましょう。


【大芋神社明神鳥居(おおくもじんじゃみょうじんとりい)(加東市上田)】
(昭和47年3月24日県指定)

上田地区内に位置する大芋神社の参道沿いに建立されています。

柱間が2.55m、高さが2.4mで、幅と高さがあまりかわらず、背が低いという特徴があることから、明神型の石鳥居と位置づけられ、河高住吉神社の石鳥居と同形態とされています。石材は加西市域で産出する高室石という凝灰岩が用いられています。

柱は四角形の角柱の角をはつって、加工したようで、柱の断面の形は、円形ではなく、隅丸方形をしています。また、全面にタガネで加工した痕跡が残されています。

一番上に配置する笠木とその下にある島木の長さがほぼ同じで、その両端はほぼ垂直に加工されています。

額束は貫と島木の中心に掲げられており、『大芋大明神』と刻書されています。柱の中央付近は平らに磨かれて文字が刻まれており、寛永2年(1625年)に大工として久兵衛があたったことや願主として周辺の集落(上田、野村、仁我井(現-福吉)の三ケ村)の氏子らの名前が記されており、建立されたことがわかります。

こうした点から、江戸時代初期の紀年銘をもつ遺品として貴重な存在といえます。なお、平成5年(1993年)に解体修理を行い、その際に、額束をはじめ欠損部分を補修しています。ただ、高室石のもつ特性から、風雪によって劣化が進行しつつあるといえます。

令和七年大芋神社上田大秋祭り


10月4日(土)
 奉納獅子舞、子供獅子舞
10月5日(日) 奉納獅子舞、子供相撲


【石造明神鳥居(せきぞうみょうじんとりい)(加東市河高)】
(昭和42年3月31日県指定)

河高住吉神社の参道に建立されている石鳥居です。柱間が2.5m、高さが2.76mで、柱幅と高さがあまりかわらないという特徴から明神型の石鳥居と位置づけられています。類似するものとして、上田地区の大芋神社と小野市近津神社、福崎町岩尾神社などがあげられます。

島木の長さが笠木に比べて短く、端部が大きく反りかえっている点で大芋神社とは大きく異なっています。また、木鼻も柱からかなり突出し、柱が太く断面がやや方形状をしたところに特徴があります。これらは四角形の角柱の角をはつり、加工したようで、大芋神社のものより丸みがあります。加工は、柱などはノミではつり、笠木や島木はノミタガネで加工した痕跡が残っています。

上部に掲げられている扁額は補修されたものです。現在では柱の下部には、コンクリ-トで補強された台座や亀腹が設けられています。柱の基礎は、自然石が埋め込まれていました。

この鳥居は、加西市域で産出される高室石製のもので、室町時代末期~江戸時代初期の石鳥居と考えられています。高室石の特性から長い柱を製作出来なかったことによって、これらのずんぐりとした形状の石鳥居が生み出されたものとなっています。

なお、平成26年(2014年)の台風によって島木・貫が破損・倒壊し、修復作業をして再建されています。



出典:3点いずれも「加東市の文化財」(加東市教育委員会)

河高住吉神社秋祭り


10月4日(土)
 宵宮演芸会 (河高交流センター)
10月5日(日) 本宮 子供神輿、奉納獅子舞、福入り餅まき(住吉神社境内)


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