その昔、この地は「針磨鴨国(はりまかものくに)」と呼ばれていました。
奈良時代、大化の改新後、播磨国賀毛郡(賀茂郡)が賀西郡、賀東郡に分かれ、やがて、加東郡から小野町が市制施行し離脱。社町、滝野町、東条町が合併し加東市が生まれました。
そして、令和8年3月20日に加東市は誕生20年の節目を迎えます。
歴史の中で、子どもたちを取り巻く環境は大きく変化しています。学校教育もその1つです。江戸時代の寺子屋から公立の小学校(尋常小学校)が京都に生まれました。
今や小学校と中学校が一つの学校教育目標のもと、義務教育9年間を通してつながりのある教育が必要であると考えられています。
加東市においても少子化に伴う単学級や学校の小規模化など、複雑・多様化する学校教育の課題に対して、さらなる対応が必要であると小中一貫校が進められました。
そして、令和3年に東条学園、令和7年に社学園が開学、そして令和10年に滝野学園が開学の予定となりました。
さて、学校と言えば思い出すのが校庭の二宮金次郎像、薪を背負って本を読みながら歩く二宮金次郎は、昭和初期から戦後の昭和30年代に全国の学校に多く建てられました。
市内の小学校にもそれぞれ個性のある金次郎像がおりました。しかし、小中一貫校の設立により閉校となった小学校。金次郎像はどうなったのでしょうか。
幼い日の思い出の二宮金次郎像を写真だけでも残しておきたいと探してみました。
■滝野東小学校の二宮金次郎
滝野東小学校の古い校門の脇に植え込みがあり、その中に二宮金次郎像があります。台座の正面には「至誠」の二文字が刻まれています。そして、裏側には「皇紀二千六百年」と刻まれていました。高い台座の上に薪を背負って歩きながら本を読む二宮金次郎の石像があります。足の部分はコンクリートで補強されているようでした。周囲の植え込みはきれいに剪定されていました。桜の古木の枝が像の上まで伸びてきており、入学式の頃には満開の桜が子ども達をむかえることでしょう。

滝野東小学校の前身、戦前の加茂国民学校時代の昭和16年に金次郎像の除幕式が行われたと記念誌にありました。今は運動場で元気に遊ぶ子供達、校舎の教室の窓から聞こえてくる子供達の勉強する声を静かに聞いているのでしょう。
「あの腕白坊主のひ孫か?よう似とるな」と心の中で、きっと微笑んでいることでしょう。
■滝野南小学校の二宮金次郎

滝野南小学校の二宮金次郎像は、ものすごくリアルで、本には「大学」の書名(文字)があったり、背中の薪の一本一本や履いている草鞋が本物のように精巧に造られていました。台座には「少年時代の二宮尊徳先生像」と書かれた金属プレートがはめ込んであります。そして裏側には寄贈者の陰山禎次郎氏の名と昭和31年8月の日付が書かれたプレートがありました。

滝野東小・滝野南小とも、令和10年3月に閉校する予定です。金次郎像はどうなるのでしょう。
■東条地域東・西小学校の二宮金次郎

東条地域にあった東小学校と西小学校は今、地域の方々が利用されています。聞いてみますと東小学校には元々金次郎像は無かったそうです。

そして西小学校にあった金次郎像は既に処分されていました。どこかで第二の人生(職場)を踏み出しているそうです。
■社小学校の二宮金次郎

社小学校の正門を入った左手の大木のそばに二宮金次郎の銅像が立っています。「社小学校百年誌」によれば、昭和10年(1935年)に建立されたと記されています。児童達は登校して正門をくぐると、左側の金次郎像に最敬礼し、引き続いて奉安殿にも同じように敬礼して教室に入ったそうです。その後、戦争が激しくなると「老骨にむち打ち、赤だすきをかけて歓呼の声に送られての出征(軍需物資として献納)」となりました。

今の銅像は、台座右に「寄贈者 神戸市 田野さち子 取次 黒石健次 昭和31年12月再建 黒石素仙」と刻まれています。ちなみに、黒石先生は昔、田町筋で医院を開業されていたそうです。
■三草小学校の二宮金次郎

正面には「二宮尊徳先生幼時之像」の銅板がはめ込まれ、像の裏には皇紀二千六百年と刻まれています。昭和15年(1940年)ですから、その年にはこの地に三草小学校はありません。

現在のやしろ国際学習塾に三草小学校があった時代に建立されたものでしょう。建立から85年余り、その姿を保っています。
■米田小学校の二宮金次郎

米田小学校にある金次郎像は写真のように男前です。今風に言えばイケメン金次郎です。手に持っている本を見ておらず、遠くを見ているように見えました。

端正な顔と瞳が印象的です。手に持っている本を見ていないのは、きっと登校してくる児童達を見守っているのではないでしょうか。
■福田小学校の二宮金次郎

福田小学校の職員室前の植え込みの中に二宮金次郎像があります。台座には「二宮尊徳先生幼時之像」と刻まれた銘板がはめ込まれています。裏には昭和6年という文字が刻まれていました。銅像ではなく、石像のようです。どこの石像も銅像に比べて多くの薪を背負っているようです。

顔を見ると、どうも視線は本に向かっているようには見えませんでした。
■社学園の二宮金次郎

小中一貫校により社、福田、米田、三草、鴨川の小学校5校が閉校になりました。鴨川小学校を除く4校にはそれぞれに金次郎像がまだ建っていますが鴨川小学校の金次郎像は無くなっていました。それが、ここ社学園に移されたそうです。5校の中で一番、きれいだったのでしょうか。元々鴨川小学校では台座に「昭和32年建立 姫路・・・」と刻んでありました。古い資料によると「昭和32年10月15日撮影二宮尊徳像建立記念写真」が見つかっています。
70年近く鴨川小学校で子供達を見守っていた金次郎も場所を変え、社学園という新しい地で子供達を引き続き見守ることになりました。

「そろそろ引退しようと思とったのに、もうちょっと働け言われてな、福田や三草の先輩らもいてはんのに、しゃーないがな、ぼけるまで、心機一転頑張るわ」
協力:加東市教育委員会
参考文献:『ふるさと加東の歴史再発見』藤本百男著
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