文責・出演:加東市観光協会 西山
様々な情報を発信する「広報かとう」。
毎月15,600部が発行されている。毎月楽しみに読んでいるのは私だけではないでしょう。なかなか読む時間がないという御仁にはパソコンやスマートフォンでも読めるようになっている。地域の図書館ではバックナンバーも置いてある。
かとうトリビューンでは、毎月の広報かとうから私の独断と偏見で気になる記事を「深堀り広報」としてお届けします。どうぞ、お楽しみに。
豊作願い 虫を送る

7月5日、稲尾地区で毎年恒例の「虫送り」が行われました。
虫送りは、稲の虫を駆除し、その年の豊作を願う祭りで、戦争の影響で一時途絶えていましたが、平成19年に地区の三世代交流イベントとして復活。以降、今日まで続けられています。
今年は昨年よりも多い90人が参加し、実盛人形を先頭に、子どもからご高齢の方まで、みなさん松明を片手に「実盛さんのご上洛、稲の虫やお供せい」と掛け声を出しながら、地区内を歩かれました。
広報かとう2025年8月号より
【虫送りとは】
農薬や殺虫剤のない時代、田畑を荒らす害虫を追い出し、ムラの外へ送ることから「虫送り」と言われています。五穀豊穣や無病息災を祈願する風習で、全国で行われています。
【斎藤実盛とは】
平安時代の末期、加賀国篠原で、源氏軍の木曽義仲(源義仲)と平家軍との間で行われた戦い(篠原の戦い)に平家軍の老将、斎藤別当実盛(さいとうべっとうさねもり)がいました。
平家物語によると、平家軍はほとんど交戦能力を失い、惨憺たる体で壊走する中、実盛は自陣が総崩れとなるも、殿(最後尾)の守備を引き受けた奮戦ぶりが描かれています。
かつて義仲の父源義賢が大蔵合戦で討たれた際に、実盛は幼い義仲を木曾へ逃がした命の恩人であったと語られています。
篠原の戦いで源氏の武将が実盛の首を義仲に差し出した時、義仲は家来の前でありながら号泣したと伝えられています。
実盛が死んだ原因は、実盛が乗っていた馬が稲の株に足を取られ、実盛が落馬したところを平家の武将、手塚光盛に討ち取られたと言われています。

馬が稲株につまづいて転倒したところを、源氏方の武将に討たれて無念の死を遂げた実盛は、その死の原因となった稲を呪い、実盛の怨霊が害虫になって稲に祟りをなすようになりました。
「実盛が京の都へ上洛するから、稲の虫など害虫たちよ、実盛のお供をしてムラから出て行け」と虫送りが行われるようになりました。
【実盛さんのご上洛、稲の虫やお供せい】
稲尾地区内を歩かれるときの唱え文句です。全国では様々な虫送りの唱え文句があるようです。
・「泥虫 出てけ、刺し虫 出てけ。すっとすっとすっとせい」(京都)
・「いもち送れー、いもち送れー」(滋賀)
・「サンヤーレ、サンヤーレ、実盛のお弔い」(和歌山)
・「ウンカ虫送れ、ウンカ虫送れ」(鳥取)
・「サイトコ ベットコ ウッテントン イネノムシャー トサヘイケー」(徳島)
・「実盛虫はどこへ行った 西のはてまで 後さらえ ドーンドン」(徳島)
・「斎藤実盛様のお通りじゃ、飛べるムシャ飛んで来い、這えるムシャ這って来い。」(徳島)


▼こちらの記事もおすすめ

