【加東古は語る】加東の道標~幾歳月の時を越えて~ #003

その昔、この地は「針磨鴨国(はりまかものくに)」と呼ばれていました。
奈良時代、大化の改新後、播磨国賀毛郡(賀茂郡)が賀西郡、賀東郡に分かれ、やがて、加東郡から小野町が市制施行し離脱。社町、滝野町、東条町が合併し加東市が生まれました。
そして、令和8年3月20日に加東市は誕生20年の節目を迎えます。

昔から交通の要衝と言われる加東市。京街道や大坂街道、高砂街道や西国三十三番霊場、加東四国八十八番霊場の巡礼道など「道」が市内を縦横に通り、多くの人々が往来していました。現在でも中国自動車道や国道175号、372号などが通る北播磨の交通の要衝となっています。

道は今も昔も人や物、文化や経済が行き交う役割を果たしてきました。ときに戦の道であったり、ときに祈りの道であったり、人々の怒りや憎しみ、喜びや悲しみを運びました。そんな人々を、いつも見届けていたのが道ばたの道標です。

幾歳月の時を越えて、今も佇む加東の道標。今回は加東の道標をご紹介しましょう。


【田町通り】

加東市社の市街地の中心から東に向かって伸びる田町(たまち)通り。

今は空き地があったり、商店も少なくなったりとさびしい感じはしますが、お年寄りの話によると昔は社の街で一番賑やかな通りだったそうです。いろんな店が立ちならび、暮れの「誓文払い」「歳の市」には、身動きがとれないほどの人手があって賑わったといいます。

加東市商工会から田町通り東を望む

 

レトロな看板が残っている

【田町地蔵尊】

田町通りの東の入り口。今は住宅地になっていますが、かつては、この付近には道池(三ツ池とも呼ばれた)という大きな池があったそうです。

田町通りの東の入り口

 

「社道池」の名が残る郵便局横の交差点

その堤の下辺りに田町地蔵尊が祀られています。法蓮寺(ほうれんじ)と路地をはさんで隣接し、小さな祠とブロック塀、そして門柱が立っています。

元は道池があったころ、田町から道池の土手に上がり、道が分かれているところに立てられていたということです。

法蓮寺

 

田町地蔵尊

丹波から播磨へと通じる京街道は、西国三十三ヵ所札所の巡礼道でもありました。社の村を通っていたことから田町通りはその宿場町として大いに賑わったのだとか。その名残をこの田町地蔵尊の門柱になっている道標に見ることができます。

「左 きよみづ道」「右 大さかみち」、正面には「南無阿弥陀仏」と刻まれた堂々たる道標です。

道標左きよみづ/道標右大さかみち

高さは1メートル余り、左に行けば木梨から三草、鴨川を経て京都方面へ通じる京街道へ。そして右に行けば、土手に沿って中三昧の墓地を抜け、大阪方面に通じる大阪街道へとつながっていたのでしょう。


参考文献『ふるさと加東の道標・道路元標』藤本百男著
(引用元の記載なき画像は筆者撮影による)


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