新シリーズ始動!【加東古(いにしえ)は語る】#001

その昔、この地は「針磨鴨国(はりまかものくに)」と呼ばれていました。奈良時代、大化の改新後、播磨国賀毛郡(賀茂郡)が賀西郡、賀東郡に分かれ、やがて、加東郡から小野町が市制施行し離脱。社町、滝野町、東条町が合併し加東市が生まれました。そして、令和8年3月20日に加東市は誕生20年の節目を迎えます。

今回は加東の文化財をご紹介しましょう。

【黒谷若宮八幡宮本殿】

昭和37年6月21日 重要文化財指定

黒谷地区の山裾に南面して建てられており、その建立時期については、内陣(ないじん:本尊を安置してある中央部分)の羽目板壁に記された墨書の内容から永禄7年(1564年)に上棟したことがわかります。

内陣に残された墨書銘(出典:『加東市の文化財』)
(出典:『加東の文化財』)

社殿の構造は、三間社流造(さんげんしゃながれづくり:正面の柱が4本、柱間の間口が3間。神社の典型的な建築様式のひとつ)で、前面の唐破風(からはふ:屋根の中央部が丸みを帯びている)は建築当初に設けられたものです。

正面に柱が4本。柱間が3間。屋根の中央が丸みを帯びている。

向拝(こうはい:正面のひさし、ここで参詣者が礼拝する)から身舎(もや:庇や廊下ではない、母屋)へ登る軒唐破風造(屋根本体の軒先が丸みを帯びた形に造形した破風)は全国的にも類例に乏しく、神社建築では現存する最古のものとして貴重であるといわれています。

唐破風の桁は向拝から身舎へ登りに架かっている。 向拝の柱は角柱、格上の身舎の柱は丸柱です。

屋根はサワラの木を薄く剥いだ板材を葺上げた杮葺(こけらふき:木材の薄板を利用し施工する方法、薄板2mm〜3mm)という種類のもので、その上部に銅板包みの箱棟(はこむね)と千木(ちぎ:屋根のむねの両側に交差させた長い木材、祭神が男神の場合先端が外削ぎ地面に対して垂直であるとの俗説)、鰹木(かつおぎ:本数は奇数なら男神、偶数なら女神を祀っているという俗説もある)が配置されています。

杮(こけら)葺き
箱棟:銅板包み、千木:先端は外削ぎ、鰹木:5本

組み物(くみもの:屋根を支えるために柱頭に設ける部材の一群)は簡素な出三斗(でみつど:大斗の上に肘木を置き、その上に3つの巻斗を載せたもの)です。
妻組は二重の虹梁(こうりょう:柱と柱との間にかけ渡した虹のように反った梁)に、大瓶束(たいへいづか:虹梁上にたち、斗をはさんで上の荷重を支える)を立てています。

二本の虹梁の上に大瓶束、その上に出三斗で屋根を支えている。

本殿の特色として、向拝虹梁、身舎貫頭の木鼻などに「猪・象・龍」や「菊・鯉・鶴・亀」「万年青・菖蒲・桐」など室町末期の優れた彫刻を見ることができる。

蟇股:虹梁・桁・棟木等の水平部材の荷重受けの構造材。屋根を支える部品
手挟(たばさみ):主に向拝柱上の、組物の内方と垂木の隙間に挟まれる
構造を強化する意味もあるが、どちらかといえば装飾の意味合い
木鼻:肘木、虹梁などの先端が柱より突き出た部分

享保元年(1716)、明治9年(1876)など数回の修理記録が残されており、昭和42年(1967年)に大規模な解体修理工事が行われました。近年では、平成20年(2008年)に屋根葺替のための保存修理工事を実施し、平成21年(2009年)3月に完成しました。

なお、境内の馬場先で毎年8月16日に行われる「柱祭」は、平成24年3月28日に加東市無形民俗文化財に指定されています。

若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)

所有者:黒谷地区
所在地:兵庫県加東市黒谷275
料 金:なし
駐車場:あり
アクセス:中国自動車道ひょうご東条ICより約7分
地図情報:大きな地図を見る(GoogleMapページへ)


本記事内の画像・文章は一部書籍より引用。
出典:『加東市の文化財』(加東市教育委員会/平成28年刊)・『加東の文化財』(加東郡教育委員会/昭和61年刊)
※引用元の記載なき画像は筆者撮影による。


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